小谷焼

まえがき

地元の長倉惣十郎氏が、四国の砥部へ仕事に行き、砥部の窯場を見て、白市城山の土を砥部で試し焼して磁器となることを確認した。長倉氏は、入野村の庄屋 堀内徳三郎氏に開窯を勧め、堀内氏が出資して小谷焼窯元として操業した。最盛期には、40人~50人の職人がいた。
小谷焼は、東広島市高屋町小谷村で焼かれた磁器の焼き物であり、絵付けではなく、型紙によって絵付けを行った明治印判技法で、呉須の色が鮮やかで、親しみ易い、優れた焼き物である。その跡は、昭和53年11月15日、市史跡に指定された。

何時ごろ作られたのか。

愛媛県・砥部の系統を引く磁器で、明治10年代から明治33年頃の20年間操業され、県内全域、また中国にも輸出されていたが (竹原から船で・・高台裏には、日本小谷、小タニ、意味不明)、製造期間も20年間と短く、生産規模も小さい為、文献資料・記録が少ないのが実態である。
窯は、どのあたりにどれ位あったのか。
現在の小谷大原地区(山田さん宅の裏)に7間の登窯(本焼き用)と4間程度の登窯(素焼き)の跡らしきものが残っている。 (二度焼する事が必要である為。)

小谷焼の特徴

日常の雑器を主としており、青地は、白色に少し青みがかった独特の美しさで知られ、近代の磁器の中でも美しい「白と藍」の世界を造りだしている。呉須絵の磁器、呉須を用いて生地に藍色の絵模様を描き、その上に無色の釉をかけて焼き付けたもの。
(呉須とは、磁器の染付けに用いる藍色顔料。中国には天然に産する唐呉須という多量のコバルト、マンガン、鉄などをを含む、黒褐色の顔料で、中国では、青花という。)
茶碗の意匠(内側)、高台部の意匠(下部)は、精微で国内で最も優れており、他に見られない技術で製造されているが、明治印判手法である為、小谷焼の判別が容易でない。(12枚の紙型摺りがあったと思われる。)

現存する作品

前垣勲(故人)氏が周辺民家から収集され管理されている。地域一般民家でも多少は残っていると思われるが、日常に使用された雑器である為、ほとんどが壊れ投棄されており、少量と思われる。

どう云った人が使っていたのか。

明治維新後に、ご飯を木製の茶碗から白い磁器の茶碗で食する習慣が文明開化の流れとして、庶民に歓迎された。従って、ごく一般の家庭で、日常の雑器として利用されていた。
県内また中国にも輸出されており、安価な製法の明治印判が普及されたものと思われる。
茶碗・鉢・なます皿・小皿・角皿・湯呑・徳利・火入れ・重ね鉢、最大の物で角皿の口径22.4cm。大皿は 、窯跡からは発見されていない。

何時頃、どうして無くなったのか。

色々な説があるが。明治33年頃、当時の経営者:佐々木常太郎氏の時、経営が立ちいかなくなったといわれている。

その要因は、

明治27年、山陽鉄道が広島まで開通し、小谷焼の商品価値が低下した。
印判の技術が染づけから色絵に、また型紙から銅板製へ移行し技術対応が遅れた。
窯の老朽化が進み、資金不足に陥った。
城山から採取されていた材料石が不足となった。
(本記事は25年1月に加栗氏が東広島FM放送ト-ク番組の中で放送された内容の一部です。)

小谷焼の由来と復活(その2)

復活活動について
至った経緯について

H23.1月・住民自治協議会の発足にあたり、区民アンケ-ト調査を実施した。次の内容に対する要望が約70%であった。
①.域交流の場として、多目的に利用できる施設及び地元と団地区民が、交流できる機会の施設。
②次世代への文化の継承(小谷焼、和太鼓、文化の集い等)
③地産地消(小谷SA産直市)の促進及び耕作放棄地の解消。
どのように復活していくのか。
地域の資源である小谷焼を復活し、地域の伝統文化の継承ツ-ルとして、先人の知恵と技術の再生を図る。地区民には、生きがいと団地住民には、地域の良さを知ってもらい、定住促進の推進を図る。(小谷焼の操業は、6次産業化のはしりでもある。)
すでにH24年度市民協働のまちづくり地域活性化施設補助整備事業に応募し、採用された。
活動拠点として、名称:大丸目山コミュニティハウスをH24.11月に完成した。1300度供給可能な窯も設置済。備品については、宝くじ助成金制度に応募、4月頃発表の模様。
※地元には、陶芸の熟練経験者・多武保氏、西広氏の2名を配し、当面は、どこまで当時の技法を再現できるか模索する。
(明治時代に起業した地元で唯一の磁器製造技術の再生と地域ブランドの可能性を模索する。)
陶芸経験者により、講習会、展示会等の開催により、区民への地域歴史観、地域への愛着、定住意識の高揚を図る。
将来的には、物販にも力を入れ、小谷SA産直市店舗での販売を目指す。

最後に

地域唯一の小谷焼について、地域の区民ですら、ほとんど知られていない。
地域の中でも、お互いの関わり合いが少なくなっている中で、共通の認識を持ち「地域への愛着」、「地域を残したいとの思い」を維持する事と、一地域からの発信の源となれればとの思いです。
また少子高齢化が進んでいる中で、現状のままだと今後5年~10年後には、6割程度の耕作放棄地化が進む中、地域の限界集落化、生活環境保全の崩壊による地域崩壊を防ぐ一助としたい。